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九度山町教育行政の沿革と概要

九度山町は、和歌山県の北東部、伊都地方のほぼ中央部に位置し、南北8.5km、東西13.0km、総面積44.12km2で、大台ケ原に源を発する紀の川の南岸に接しています。地形は紀の川流域平坦部を除いて傾斜地が多く、総面積の70%が山林原野です。紀の川と丹生川に挟まれた段丘上の中心街が広がりその周辺および山間部に集落が点在しています。平成20年3月末現在の人口は5,434人、世帯数2,000戸で、昭和30年3月九度山町と河根村の合併時の人口9,206人、世帯数1,849戸と比べると、人口は大きく減少し、核家族化が進んでいます。

この地は、平安時代、弘法大師の高野山開創以来、高野政所として寺領支配の拠点となった慈尊院、高野山への参詣路です。町石道をはじめ、東高野街道の登り口にあたる本町は、物資の集散地・宿場町として高野山とともに栄えてきました。さらに大正末期、南海電鉄高野線の開通により大きく変貌し、山林業や地場産業としての織物業、「日本一の富有柿」で全国的に知られる柿・みかんなどの果樹栽培を中心とした地域となりました。しかし、大都市経済圏の大阪から1時間余りの距離にであることや、近年の社会情勢の変化等から阪堺方面や町外への通勤・通学者が増え、兼業化が進み、地域によっては、山林業の不振と地理的条件とも相関達して過疎化し、また、世帯構成も高齢になってきています。

本町には、慈尊院・丹生宮省符神社・高野山町石道等が平成16年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されるなど、緑豊かな自然と数多くの歴史的文化遺産など観光資源に恵まれています。こうしたことから多くの観光客が訪れています。また、戦国の智将、真田昌幸・幸村父子の閑居の地としても有名で、真田一族発祥の地、長野県真田町と昭和52年姉妹町盟約が結ばれ、両町の交流と友好が深められてきました。

平成18年3月6日、真田町・上田市・丸子町・武石村の4市町村が合併、新たに上田市が誕生しました。九度山町と上田市とは新上田市の誕生を契機に友好交流を継続することを確認するとともにさらに友好交流の輪と和が地域全体に発展することを願い、平成18年8月18日姉妹都市提携の盟約が結ばれました。

教育面では、明治5年学制が公布されるや翌6年(1873)1月郡内でも一番早く、遍照寺境内に75.8坪の校舎を設け教育を始めたのが九度山小学校の前身です。学区は高野山を除く伊都郡の河南全域でした。同年2月、河根小学校の前身が日輪寺を仮校舎として、明治9年古沢小学校の前身が安福寺で、久保小学校は薬師堂を、丹生川小学校は円通寺を仮校舎としてそれぞれ開校されました。この年で九度山の教育の基盤が確立したといえます。明治43年九度山小学校に高等科第3学年がおかれました。この制度は郡内では始めて実施されたため、他の町村から多くの生徒が通学していました。大正13年九度山小学校に幼稚園が付設され、昭和2年公立となりました。

このように本町は、昔から教育について常に先進的な考えを持ち、町挙げて教育の振興に努力されてきました。「教育の町、九度山」といわれるこの言葉の心が現在も受け継がれています。

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最終更新日:2016216

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